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広報みなみそうまを開くと、いきなり最初のページが、黒い袋のマンガでびつくり。ほぼ除染が終了し、町から除染作業員が消え、仮設宿舎も取り壊された。残ったのは、黒い袋。集落ごとに仮設置き場があり、黒い袋が積まれている。

 

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リンク 広報みなみそうま-2017年5月1日号

この袋が無くならない限り、被災地であり続けるのだろうと思う。既に多くの住民は慣れっこになって、そんな事は考えていないが、外から見れば違和感を覚える。取り除くことのできないマイナス状態のことを障害というなら、この地域自体が障害をもっていると言える。

田んぼの中に、墓地のような、遺跡のような、悪性物質のような黒い袋を、自分の心の中に抱えて生きている。もう既に受容はできていて、出来ない人は避難している。そんなものがあったって、前向きに生きることができることは出来るはずだが、大地を汚し仕事を奪い、家族を分断させ、強制的に追い出したことで、精神的に追い込まれてしまった人がいる。町に人が戻らなかったとしても、避難した人を責めることはできないし、各自の選択が尊重されるべきだ。

 

私は南相馬から離れて相馬に拠点を移したが、意識は南相馬の住民のままだ。忘れようともしたが、もう無理に否定することは止めた。どちらも故郷であるということにしておこう。きっと小高や浪江や飯館の人、避難先で家を建てた人にとっても、いつまでも地元がふるさとなのだと思う。