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続けることは難しい。時間により状況や目的が変化するためだ。

相馬野馬追も、相馬中村藩の軍事的な演習であったものが、藩自体がなくなり侍もなくなってしまった。それでも神社が神事として行ない、今も歴史的な文化を継続している。愚直というか意志が強いと言おうか。そして目的が観光となったのかと言えば、そうとも言い切れない。歴史を継ぐ者には、覚悟と相馬人としてのアイデンティティーがある。うまく表現できないが、取材をした人の中には、明らかに侍としての自覚とプライドがあった。

 

福島が被災地となって、南相馬ファクトリーが誕生し、応援をもらう存在となって、バッジはを買ってもらい情報を発信した。バッジは南相馬を中心とする障がい者施設で働く人の工賃となり、厳しい時期に彼らの生活の救ったのは事実だ。

時間の経過で、支援を目的とするより、福島とつながる目的の意味が強くなる。傷ついたのは福島だけではなく、全国の人たちも傷ついていたのだ。ひまわりの種を入れて販売したが、全国の人が協力してくれた。原発事故という障害を負った福島に対する思いやりをもった人たちが協力してくれて、今も継続している。植えてくれた人は、自分の地域の人や自分の心を耕していて、それは今の日本に必要なことだと感じた。

 

当初の目的を達成し、南相馬ファクトリーは止めるべきだという声があり、人間関係で苦しむことになった。「佐藤さん、自殺しないでよと言われる始末。だが継続する意味はあり、自分の正しいと思う方に従った。相手の言い分も理解はできた。違いのあることを、クールに認めることは難しく、批難し誹謗中傷てしまうのは人間の性か。原発事故で一番、学ぶべきことのような気がする。正しいは人によって違って、いっぱいあるのだ。

 

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上は相馬野馬追の御旗帳。武士は同じ旗はつけない。みんな違って、みんないい?

被災したのは「福島であるが、海側の浜通りの地域と山側の会津では、温度差があった。同じ相馬でも、津波で被災した人と山側に住んでいる人の差がある。原発事故で、南相馬の小高区、原町区、鹿島区でも被災状況と意識が違っていた。そして、原発事故の被災者としてのエリアは、時間の経過と共に同心円が小さくなっていく。福島はバームクーヘンのようにはいかず、アソート(詰め合わせ)のような感じ。どこに身と心を置くかで、意識が変わってしまう。当事者として伝えることが難しくなっているが、継続していく。相馬の人なんで….。